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テレビ会議教室
1.大久保先生の活動紹介

1.大久保先生の活動紹介

今回からはじまる「テレビ会議入門編2」は、“大久保先生に聞くテレビ会議教室”と銘打ち、テレビ会議の草創期から未来における姿、設計に必要とされているヒューマン・ファクタ(人間要因)などについてご紹介します。

本編の講師役をお引き受けくださった大久保榮先生は、動画像符号化方式やヒューマン・ファクタからみた設計条件・国際標準化技術などについて長年研究され、テレビ会議システムに関する第一人者でもあります。

第1回目の今回は、先生のご研究やITU-Tでの活動についてうかがいました。

大久保先生プロフィール

大久保榮先生
  • 大久保 榮(おおくぼ さかえ)
  • 元VTVジャパン 技術戦略アドバイザー
  • 元早稲田大学国際情報通信研究センター 客員教授
  • 1964年、広島大学工学部卒業。同年日本電信電話公社(現NTT)に入社。
    以来、研究所で主にテレビ電話、テレビ会議システムとその人間要因、広帯域通信網、映像符号化の研究開発に従事。
  • 1994年(株)アスキーに入社、(株)グラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズに出向し研究管理と標準化に従事。
  • 1998年、通信・放送機構に移り2001年まで招聘研究員として早稲田リサーチセンターでマルチメディアシステムの研究に従事。
  • 1999年9月~2012年3月、早稲田大学国際情報通信研究センター客員教授、招聘研究員として教育、研究に従事。
  • 1984年から、映像符号化とオ-ディオ・ビジュアル通信システムの国際標準化に携わる。
  • 1984-1990年の間、CCITT SGXVのビデオ符号化専門家グル-プ議長を務め、H.261、H.320を標準化した。
  • 1990年からITU-T SG15、SG16でラポ-タ(課題責任者)としてH.262|MPEG-2ビデオ、H.310/H.321/H.323システムの標準化に携わる。
  • 1998-1999年 DAVIC TC議長、1999-2001年TV-Anytime Forum副議長、2002-2008年 ITU-T SG16 WP2/16議長を務めた。
  • 2006-2019年1月 VTVジャパン株式会社にて技術戦略アドバイザーを務めた。

【60年代】日本電信電話公社に入社し、映像符号化の研究を開始

VTV
日本電信電話公社(現NTT)に入社されてから、すぐに映像符号化の研究をはじめられたのですか。
大久保先生
入社して3、4年は無線関係の仕事をしていました。周波数2GHzでのデジタル伝送というプロジェクトがありまして、その中に新入社員として参加しました。
そのプロジェクトが終了し、「新しい分野を手がけてみなさい」という上司のはからいで画像通信の部署に異動しました。それ以来ずっとその領域で研究を続けています。
最初は画像圧縮からスタートしましたが、画像のことは何も知らなかったので、ただひたすら勉強していました。でも、それが伏線になったと言いますか、のちに映像符号化の標準化に携わることになったのは、その時代が役に立ったのだと思います。
VTV
では、先生が画像圧縮の研究に取りかかったのは、1968年頃ということになりますね。その頃、日本では画像圧縮研究は開始されていたのですか?
大久保先生
画像をデジタル伝送する研究は、50年代から始まっています。
50年代は、PCMという画素の値をデジタル表現しただけの符号化技術でしたが、60年代に入ってDPCMという隣り合う画素数の差分値を送る符号化に発展しました。
私が画像圧縮の研究に入った頃は、ちょうどPCM24 1.5Mbpsのデジタル伝送が実用化してきた時代です。
画像圧縮符号化技術の流れ

画像圧縮符号化技術の流れ
出典:インプレス 標準教科書シリーズ「H.264/AVC教科書」

大久保先生
1970年に行われた大阪万博は、高度成長の象徴というような出来事でした。日本国民全体の何分の1かが行ったというんですから、すごいですよね。
私が入った研究室は、テレビ電話を実用化しようとしており、その大阪万博でテレビ電話を展示したのです。
1950年代の世の中
  • 1950年 テレビジョン公開実験
  • 1953年 NHKと日本テレビ放送網 (NTV) がテレビジョン本放送開始、米NTSC方式をカラー標準方式として決定
  • 1957年 ソ連世界初の人工衛星スプートニク打ち上げ
  • 1959年 白黒テレビの普及が200万台を超える(皇太子ご成婚 *現上皇)
1960年代の世の中
  • 1960年 カラーテレビ本放送を開始
  • 1961年 ソ連有人宇宙衛星打ち上げ「地球は青かった」
  • 1963年 初の日米間テレビジョン衛星中継“ケネディ暗殺”を速報(当時は「宇宙中継」と呼ばれていた)
  • 1964年 東京オリンピック開催、東海道新幹線開通
  • 1969年 米アポロ11号月面着陸

【60年代】アナログテレビ電話の開発

VTV
テレビ電話というのは、どのような経緯で生まれたのですか?
大久保先生

そもそも電話会社というのは、電話がビジネスです。60年代は今と違って、電話が設置されるまでに非常に時間がかかりました。電話が自宅につくのをお客様がじっと待っている時代だったんですよ。
ところが60年代の終りになると、その状況が落ち着いてきました。ビジネスとしてはだんだん先が見えてくるわけですね。
電話会社が売っているのは、要は帯域です。それで「電話よりももっと広い帯域を使うサービスを提供すれば、それを電話の次につなげていける」と電話会社は考えたのです。

それで「次はテレビ電話だ」という流れになりました。
大阪万博の頃は世界中で同じようなトライをしていて、アメリカでは商用サービスもスタートしました。

VTV
先生もテレビ電話の開発に携わったんですね。日本では商用化されなかったんですか?
大久保先生
私は、2年間だけ研究所を離れて、事業部門でテレビ電話の仕事をしました。
その時の仕事は、企業にテレビ電話を設置して試用試験をするというもので、自民党のシステムとして首相官邸と自民党本部3室の合計4台を結んだりしました。
VTV
この時代はまだISDNもありませんから、通常のアナログ回線ですよね。
大久保先生

アナログで、映像は白黒でした。
いまと比べると映像はよくありませんでしたが、アナログだから遅延がないんです。そこがアナログの優れている点です。

遅延が生じるのはメモリがあるからです。この頃は、メモリを使いたくても使えない時代でした。
いまのデジタルは、メモリが使えることでシステムが非常にフレキシブルになったし、安定したし、カラーになったしで、良いことはたくさんあるんですけれども、遅延だけはダメですね。

これは私ののちの研究であるヒューマン・ファクタに関わってくるんですが、テレビ電話やテレビ会議に非常に重要なことは遅延がないことです。会話を円滑に行うには、遅延があっては困るんですね。
これは解決しなければならない問題だと思っています。

話を元に戻しますが、テレビ電話は試験レベルで終わりました。これは日本だけではありません。

1970年代の世の中
  • 1970年 日本万国博覧会開催 (大阪万博)
  • 1971年 NHK総合テレビ全時間カラー化
  • 1972年 札幌冬季オリンピック開催、沖縄返還
  • 1973年 オイルショック
  • 1976年 ロッキード事件
  • 1978年 成田空港開港

【70・80年代】テレビ電話からテレビ会議へ展開。ヒューマン・ファクタの研究にも着手

VTV
テレビ電話が商用化できなかったのは、何が問題だったんでしょうか?
大久保先生

これに対する完全な答えを出した人はいないんですけれども、テレビ電話にはみなさん何か抵抗があるんですよ。1度使って、次にまた使おうという反応にならないことは確かです。
商用化したアメリカでも撤退してしまったし、その後もテレビ電話は繰り返しトライされていますけれど、あまり受け入れられているように感じませんね。

ともかく、1970年代の始め頃にテレビ電話の試用試験は終りました。
これじゃいけない。せっかく開発にいろんなものを投資したし、画像の技術を何かほかに流用できないだろうかと考えて、出てきたものの1つがFAXです。

FAXは、文書を「画像」として通信回線にのせて、先方に送るものです。郵送と違いその場ですぐに送れるということで、これは大いにビジネスになりました。

VTV
もう1つがテレビ会議ですね。
大久保先生

ビジネスの場では、盛んに会議をしています。統計の取り方にもよりますが、業務時間の約4割を会議に費やしているのが、どこの国でも共通している結果であり実態です。
そこで映像通信で効率よく会議ができないだろうか、と開発されたのがテレビ会議でした。

当時の日本電信電話公社では、武蔵野、横須賀などにあった研究所や日比谷本社を結び、社内にトライアル的なシステムを使ってサービスを開始しました。
実際にやってみると、1度使った人がリピーターとしてまた利用するんです。その人の評判が人から人に伝わって、今度は別の人がやってくる。それがまた伝わる――という感じで、年々使う人が増えました。
使用後に取ったアンケートを分析して、いろいろと面白い結果が得られたんですよ。これは成功して、1984年から商用のテレビ会議サービスを開始しています。

電電公社 社内テレビ会議システム

電電公社 社内テレビ会議システム
出典:画像電子学会誌 第11巻 第1号(1982)

VTV
テレビ電話と違って、テレビ会議には利用者が抵抗を示さないんですね。
大久保先生

テレビ電話とテレビ会議っていうのは、システムとしてはほとんと同じなんです。だからこの反応の違いは、非常に面白いテーマだと思います。

電話はこちらの都合に関係なく、いきなりベルが鳴るんですよね。テレビ会議はミーティングとか面談とか、あらかじめ相互に時間 を決めて利用しますが、テレビ電話はアポイントメントなしに人がいきなりやってくるようなものです。だから人は抵抗を感じるのではないかと、わたしは考え るんですけれども。

VTV
パーソナルであるかとか、多人数であるとかというよりも、スケジュールされているかどうかの問題が大きいということでしょうか?
大久保先生
テレビ会議室でも1人対1人で話しているケースはあります。それってテレビ電話なんですね。
しかしそれには抵抗がないわけですから、やはり心の準備が出来ているとか、あらかじめ時間が決まっていることで安心して使えるんだと思います。
VTV
それが、先生の研究テーマの1つであるヒューマン・ファクタにつながっているわけですね。
大久保先生

テレビ会議システムにおけるヒューマン・ファクタは、非常に興味深く手がけました。
日本電気の佐藤さん達が行った非常に有名な実験に「ディスプレイとカメラの位置」というものがあります。その実験によって、カメラはディスプレイの上に置いた方が、より自然に受け入れられるというのが分かったのです。

それと似たようなことで、リップシンク――音と映像の同期がどれほど必要かとか、映像をどのくらいのサイズで表示するのがいい かとか、映像を複数表示したいときにはどうすればいいのかとか。1人ずつ大きく切り取って見せればいいかというとそういうわけでもないし、あまりたくさん の人を小さく表示すると今度は誰が誰だか分からないわけですから、適当なバランスが必要ですよね。技術的に何ができるかではなく、このように人間がどう感 じるのかを調べるのが、ヒューマン・ファクタです。
利用者がどのように反応するのかなどはサービスにとって基本的なことなので、80年代半ばくらいまでかなりシステマチックに研究しました。

1980年代の世の中
  • 1981年 米NASA「スペースシャトル」初飛行に成功
  • 1985年 NTTおよび日本たばこ産業発足、日航ジャンボ機墜落
  • 1986年 米スペースシャトル「チャレンジャー号」爆発、ソ連チェルノブイリ原発事故
  • 1987年 国鉄分割民営化(JRに)、NTT株式上場、米ニューヨークブラックマンデー
  • 1989年 昭和天皇崩御、衛星放送の本放送開始、独ベルリンの壁崩壊

【80・90年代以降】動画像符号化研究・国際標準化活動へ

VTV
映像符号化の国際標準化には、いつ頃から携わっているのですか?
大久保先生

映像符号化の国際標準化は84年からスタートして、90年までフルタイムでそれにかかわりました。
私は、最初は国際標準化会議のワンポイントリリーフみたいな感じで参加したんですが、ひょんなことからその専門家グループの議長に指名されたのです。

世界中が協力して作りあげた、いろんな意味で良いプロジェクトでした。
標準化の仕事ではありましたが、標準化と研究開発は非常に近い関係にあるという証明や宣言になりました。映像符号化に関しては、学会よりもむしろ標準化会議の方が先進的なことを議論していると言われているくらいです。

VTV
1990年からはITU-Tのグループリーダーや議長に就任されましたね。
大久保先生

90年代以降は標準化にドップリ浸かっています。
H.261のあとのH.262もそうです。また、MPEGという蓄積メディアをターゲットに出発した標準化があります。「いまより低いビットレートで高品 質を維持したい」という思惑が、CD-ROMにオーディオデジタルを収録する機関や放送機関などとも一致して、90年頃からMPEG-2というプロジェク トが始まりました。それにもITU-Tの立場から、ジョイントで標準をつくるということで関わったり、MPEGの組織の中でもサブグループの議長を務めた りしています。

1990年代の世の中
  • 1991年 湾岸戦争、ソ連崩壊、NHKハイビジョン試験放送開始
  • 1993年 日本でインターネットの商用サービス開始(ダイヤルアップ主流)
  • 1994年 首相官邸ホームページ開設
  • 1995年 阪神・淡路大震災
  • 1996年 Yahoo!JAPANがスタート
  • 1999年 インターネットのダイヤルアップ接続ユーザーが1,000万人突破
VTV
94年には、30年間務められたNTTを退職なさいましたが、動画像符号化の研究や国際標準化の活動は、そのまま続けていらしたんですね。
大久保先生

NTTを退職したあとは、アスキーに入社しました。グラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズという組織で、全く同じ研究を続けさせていただきました。その後も職場は何回か変わっていますが、研究内容は変わっていません。
98年から3年間は、通信・放送機構という現総務省の外郭団体にいまして、それがきっかけで早稲田大学の研究員となり、やはり同じ研究を続けました。
通信・放送機構にいた1999年に、栢野さん(VTVジャパン社長)とお会いしたんでしたね。

標準化での担当分野は、最初は符号化だけでしたけれども、MPEG標準化の頃からだんだん符号化を1つの要素とするトータルシステムにシフトしていきました。
最初はATM向けのH.310、その後その流れから派生したH.324で、映像符号化はH.261の次のH.263になりました。

もう1つ派生したのが、LANの上でシステムを構築するものです。
90年度の半ば頃にオフィスに必ずあったのは、電話の差込口であるRJ11とイーサネットの差込口RJ45でした。イーサネットは当時10Mbpsの速度 があり、ISDNに比べてかなり広帯域でしたから、じゃあイーサネットの上でテレビ会議ができないだろうか、という話になったのです。それがH.323の スタートです。
最初のうちはLANの上でなんかやろうなんておこがましいという雰囲気だったんですが、インテルやブリティッシュ・テレコムなどが非常に高い関心を抱いて、だんだん盛り上がっていきました。

【現在(連載当時)】ITU-T、情報通信研究機構、早稲田大学で活動

VTV
現在も、引き続き、映像符号化の研究や国際標準化活動を行っていらっしゃるんですね。
大久保先生

活動内容は、大きく分けると3つです。

1つはITU-Tでの活動で、テレビ会議やテレビ電話がキーとなるオーディオビジュアル通信システムの標準化を行っています。
議長を務めているSG16 WP2/16のグループでは、H.323やQoS、NAT/Firewall越
え、メディア・ゲートウェイ制御(H.248)などを担当しています。

2つ目は情報通信研究機構(NICT)での活動です。そこでは多くの研究が行われていますが、私は通信ネットワークを利用した放送技術のプロジェクトに参加しています。テレビ会議やテレビ電話と放送を結びつけられないだろうかというのが、そこでの私の研究テーマです。
例をあげると、テレビ電話やテレビ会議を利用して視聴者が番組に参加することなどでしょうか。このアイデアの元は、リスナー参加型のラジオ番組です。あれ はなかなか面白い。リスナーが持っているいろんな材料を番組のアナウンサーが巧みに引き出して、リアルタイムでのユニークな番組が成立しています。それと 同じようにテレビ放送でも、テレビ電話などで視聴者が気楽に番組参加できるんじゃないかということを考えています。
それから、スポーツバーのテレコム版もしくはネットワーク版の構想もあります。先日、サッカー・ワールドカップ・アジア最終予選の対北朝鮮戦で、国立競技 場でパブリックビューイングをやっていましたよね。あれと同じように、ネットワークを利用して、離れた場所にいる不特定多数の人々が同じ番組を見ながら、 いっしょにワイワイ語り合ったりできないだろうかと。そういうときに一番重要なのは、利用者が遅延を感じないことです。しかし先ほどもお話ししたようにデ ジタルでは遅延が生じますから、それをいかに減らすかなどを研究しています。

最後の1つは教育です。早稲田大学の客員教授として、「オーディオビジュアル通信システム」の講義を担当しています。

VTV
2つ目の情報通信研究機構プロジェクトで、視聴者参加型のテレビ放送についてお話いただきましたが、それにはビデオなどのマルチメディアコンテンツも考えられますね。
大久保先生

視聴者から放送局へ、ネットワークを使ってビデオなどを送る方法もあるでしょうね。
ただ現時点では、映像を使った表現は誰にでもできるものではないと思います。素人の作ったビデオがテレビ放送の素材に成り得るかというと、一部の例外をのぞいて、まだまだそこまでのクオリティはないと思います。
私たちは、長年の教育もあって、文章や簡単なイラストでのメッセージはかなり高度に表現できますが、じゃあ同じようにビデオで作れといわれても、なかなかうまくいかないでしょう。なぜなら、そのためのトレーニングが行われていないからです。
しかしこれも、時代が進むにつれて解決される問題だろうとは思います。早稲田大学で私が所属している国際情報通信研究センターの講師には、映画の業界人も います。今後、その方面の教育が一般的になっていけば、いずれは多くの人が自由にビデオでメッセージを表現するようになるかもしれませんね。

VTV
ありがとうございます。
先生のこれまでのご活動を通じて技術の進歩を知ることが出来ました。
次回は、「テレビ会議の草創期」について、お伺いしていきたいと思います。
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