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テレビ会議教室
2.テレビ会議の草創期【アナログ編】

2.テレビ会議の草創期【アナログ編】

「テレビ会議入門編2」第2回目のテーマは、「テレビ会議の草創期」です。今回はテレビ会議の初期に利用されていた、アナログ技術について、お話を伺います。

テレビ電話の開発で培った画像通信技術を活用したのがテレビ会議であると前回ご説明いただきましたが、そのスタートについてお話しください。

大久保先生

テレビ会議は、まだテレビ電話がスタートして間もない70年代頃からいろんな国でトライされています。


前回も説明しましたが、1970年代の始め頃にテレビ電話の試用試験が終り、その技術を活用してテレビ会議が登場しました。日本におけるテレビ会議は、日本電信電話公社の社内にトライアル的なシステムを作ったのがスタートだと思います。
このテレビ会議システムは単なる実験室レベルではなく、各研究所の一室にテレビ会議装置を設置し、社内で実際に行われている研究プロジェクトを支援する目的もありました。


また、セッティングやメンテナンス、トラブルシューティングなども含め、このシステムの運用をすべて 研究所の研究者が担当したことも注目すべき点です。当時の画像通信研究室長である南敏さんの「新しいサービスを成長させるためには、研究者自ら運用した り、使ってみることが大切だ」という考えによるものです。オペレーションやメンテナンス業務は、研究の第一線の業務とは違うわけですから、これを決断し実 行されたのはすごいことです。

システムをきちんと維持するには、それなりの手間がかかります。それを怠るとリピーターを増やすこと ができず、やがて誰も使わなくなってしまいます。いいサイクルを作り出すにはそれなりの努力が必要ですから、このときの「研究者による運用」は大きなイン パクトがあったと思います。
私自身にとっても貴重な経験であり、後の研究にも大きな影響を及ぼしました。

南敏(みなみ・とし)氏

当時の日本電信電話公社の研究室長であり、大久保先生の上司。
日本電信電話公社から工学院大学、関東学院大学を経て、現在は日本語教育、知的財産権の分野で社会貢献中。
テレビ電話、テレビ会議システムの草創期に大きく貢献した指導者。

初期のテレビ会議はどのようなものだったのですか。

大久保先生

このテレビ会議システムは、可動式ではなく専用の部屋を用意して設置しました。ですから、たとえば壁に吸音材を張って遮音性と吸音性を高め、音が反響しないようにするなど、快適に使うために、システムではカバーできない諸問題を
室内環境を整えることによって軽減する工夫をしていました。
また、これはヒューマン・ファクタにかかわる部分ですが、最初のうちはマイクを隠していましたね。マイクが見えていると、どうしてもそれに気をとられて普 通に話ができないということがあったので、視界に入って意識しないよう、マイクにカバーをつけて机とシームレスになるように工夫していました。最近はカラ オケのおかげでしょうか、マイクがあるからといって特別に意識する人はいないようですけれども。

そのような工夫をしていたこともあって、システムの使い勝手は非常によかったのです。とにかく、部屋 に行って座ればいいだけという感じでした。システムの操作自体も、カメラが室内全体を映すか、ひとりだけをクローズアップするかをボタンで切り替える程度 でしたので、基本的には部屋に行って普通に話をするだけと、使用者の評判はよかったと思います。

テレビ会議システム室内構成と画面分割並列表示形テレビ会議システム

東京-大阪間テレビ会議システム室内構成(左)と画面分割並列表示形テレビ会議システム
出典:画像電子学会誌 第11巻 第1号」

アナログのテレビ会議での特徴・苦労点などはありましたか。

大久保先生
当時のシステムはアナログ処理です。
カメラで映像を作成することやその映像を伝送して相手側に表示するのはアナログ技術でしたし、伝送技術そのものもアナログですから、なかなか苦労しまし た。たとえば白黒テレビの周波数は4MHzなんですが、これは電話の銅線にとって相当な帯域幅です。また距離が遠くなるにつれ信号は減衰しますので、きち んと伝送するために約500メートル毎に中継器を設置して信号を増幅し次につなげていくという、今から思えば力技のような処理を行っていました。
ただし、アナログ処理には遅延がないという利点があります。
これも前回お話ししましたが、遅延が生じるのはメモリを使用するからです。デジタル処理と違い、アナログ処理では実用的なメモリデバイスがありませんので遅延は生じません。

アナログからデジタルになるのは80年代半ばですね。

大久保先生
1984年というのは微妙な時期で、この頃から様々なものがデジタルに展開していきます。
実はネットワークにおけるバックボーンのデジタル化は、80年代の後半にはほぼ100%実現されていたと思います。ネットワークの中はほとんどデジタル化していて、加入者線部分(今の言葉ではアクセス回線部分)だけがアナログだったのです。

映像の伝送という点で見ると、アナログはやはり高価です。
電話に比べると千倍の帯域を使用するわけですから、電話線を使うと非常に大掛かりになりますし、長距離を伝送しようとすると不安定になりがちです。
先ほどお話ししたように、長距離を伝送するためには加入者線部分に約500メートル毎に中継器を設置したり、いろんなシステムをカスケード接続します。ひとつのシステムがちょっとずつ不安定だったり何かしらの変化が生じると、それが数珠繋ぎになって累積していくわけです。そのためトータルシステムとしてコントロールするのが大変でした。

80年代の半ばというのは、実用的な信号処理がやっとスタートした頃です。これも前回お話ししましたが、PCMからスタートした画像圧縮符号化技術が、DPCMという単純な圧縮を経て、次にフレーム間の符号化へと展開し、80年代の半ばくらいから実用的になりはじめました。
さらに80年代半ばは標準化がスタートした時代でもあります。
そこから世の中が急速にデジタル化していくのです。
アナログとデジタル

いまや言葉としては、すっかりお馴染みのアナログとデジタル。
両者を黒から白への明るさの変化にたとえて説明すると、アナログは灰色の階調を経て次第に変わっていくもの、デジタルは黒から白へ一気に変わるものです。

次回は、「テレビ会議の草創期【デジタル編】」についてお伺いします。

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