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第2回「テレビ会議の本質は創造性の開拓」日大商学部 児玉 充氏 1/4

ブロードバンド時代の IT ツールとして、多くの企業が各種グループウェアや ERP ツールを取り入れています。しかし昨今、これらのツールだけではコミュニケーション伝達や意思決定のスピードアップが図れないという、懸念の声もあがって くるようになりました。その問題を解消する映像コミュニケーションツールとして、また新しい知識創造のための戦略支援ツールとして、いま改めて注目を集め ているのがテレビ会議システムです。


今回は日本大学商学部・大学院商学研究科教授 工学博士 児玉充様をお招きし、「映像コミュニケーションツールの意義と今後の展開」をテーマに、弊社 代表の栢野がお話しを伺いました。

児玉充氏mark01ゲストプロフィール

日本大学商学部 大学院商学研究科教授
工学博士 児玉 充 (こだまみつる) Professor Mitsuru Kodama


早稲田大学大学院理工学研究科修了(工学博士)。これまで NTT および NTT ドコモにてテレビ電話や映像サービスを中心としたビジネス開発に従事。現在、日本大学商学部・大学院商学研究科教授。専門部分野はイノベーションと企業戦 略、 IT 経営。これまで国際専門ジャーナルへの学術論文を多数発表。
著書「バウンダリーチームイノベーション」(翔泳社)

1994 年当時、インターネットがビジネスになるとは誰も考えていませんでした。
栢野
児玉教授は、イノベーションと企業戦略の専門家として、数々の講演や学術論文を発表なさっていらっしゃいます。 NTT や NTT ドコモで長年活躍なさいましたが、映像コミュニケーションの世界と関わるきっかけは何だったのですか。
児玉教授
ピクチャーテルとの出会いですね。アメリカに出張した 1993 年に、当時の世界シェア No.1 だった米ピクチャーテル社のテレビ会議システムを見ました。標準化技術をベースに独自の画像処理技術を実装しており、 1 台あたり約 500 万円もしましたが「これは凄い!」と思ったものです。早速、当時私が所属していた NTT 国際調達室に導入し、海外事務所との打ち合わせで活用しました。
栢野
ISDN 網を利用したテレビ会議サービスが NTT から提供されたのがその頃だったと記憶していますが、教授のピクチャーテルとの出会いがきっかけになったのですか?
児玉教授
無関係ではありませんが、さかのぼると、当時の NTT 社長である児島仁氏が「これからは電話屋ではなくマルチメディア屋になれ!」というメッセージを出したことです。
少し当時の状況を説明しますと、 1990 年頃には日本のほぼ全世帯に電話網が行き渡っていて、 NTT として次のビジネスを考えなければならない時代を迎えていました。 ISDN はその頃まったく売れず、大手のコンビニが POS システムで利用したり、専用線を持つ企業がバックアップとして使用している程度でした。
一方、アメリカでインターネットが加速してきた時代でもあります。 PC をインターネットに接続して、ネットスケープを起動すると、テキストだけではなく静止画も表示されて――まだ動画はありませんでしたが、アメリカが「マル チメディア、マルチメディア」と騒いでいる声だけは聞こえていました。
そこで、先の児島社長のメッセージが発表されるわけですが、聞いている社員も具体的なビジネスイメージはなかったと思います。このような状況の中、社長の メッセージを受けて、新しい組織としてサービス生産企画部(後に、マルチメディアビジネス開発部と名称変更)が NTT の本社組織として発足しました。
栢野
従来のNTTの取り組みを変革して、すぐに新しいビジネスに取りかかろうという意図ですね。
児玉教授
最初は 50 名程度の小規模な組織としてスタートしました。当時の取締役人事部長の池田茂さんが、取締役サー ビス生産企画部長として就任されました。池田取締役は新たな発想で新しい組織づくりに取り組まれました。 NTT のような大企業は、保守的で優秀な人材が多い中、池田取締役は新しい組織を担う人材として、文系(事務職・営業職など)・理系(技術職・研究職など)を横断し、全国18万人の体制の中からベテランから若手まで有能かつ異彩な社員を集め多くのプロジェクトチームをつくりました。私も発足メンバーとして人事異動でこのサービス生産企画部に移ってきました。

栢野
組織の発足後、すぐにインターネット事業に着手したのですか?
児玉教授
いいえ、最初は具体的に何をやっていいのか分かりませんでした。あの当時のインターネットは、アメリカの政府機関や研究機関、大学をつなぐネットワークでしたから、インターネットがビジネスになるとは誰も考えていなかったんです。
1994 年にマイクロソフトのビル・ゲイツ氏が池田取締役を訪れた際にも、「インターネットなんてビジネスにならない」と発言していました。彼もそう言うし、我々もそう思う。でも無視はできないなと感じていました。
それならば、インターネットと専用線の中間くらいに位置するネットワークサービスを提供したらどうかと考えて、最初に着目したのがパソコン通信のような サービスでした。それが発展して、現在ではインターネットサービス企業の「ぷらら ( Plala) 」へと大きく成長しました。
栢野
インターネットは、どの時期にビジネスとして注目されはじめたのですか? インターネットへの接続用途で、 ISDN が一般家庭や中小企業に普及した時期もありますよね。
児玉教授
そこにピクチャーテルが関係してきます。池田取締役がマイクロソフトやインテルなど、アメリカ企業の視察のために訪米した際に、ピクチャーテルのテレビ会 議システムをご覧になって、是非「これをやるべきだ」とおっしゃいました。さらに、アメリカのインターネット事情を直接目にして、「これはそのうち日本で も使われるようになる」と考えられたのです。ただし「アナログ回線ではどうにもならない」という判断もありました。アナログ回線はものすごく速度が遅いか らです。
光ファイバーを使おうという話もあったのですが、当時の光ファイバーは高価でとてもじゃないけれどホームユースには使えません。そこで着目したのが ISDN だったんです。当時の ISDN は、通信チャネルを 2 つ束ねて 128kbps まで通信できました。ピクチャーテルが 128kbps で送信しているから動画もいけるという話になりました。「今日からできるマルチメディア -Now-ISDN 」というキャッチフレーズも池田取締役の発想でこの時期に誕生 しました。
栢野
なるほど。そこで NTT もテレビ会議システムに参入するのですね。

 

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